20181018

 今までごまかしてきたけど、どうやら花粉症っぽい。鼻がずっとむずむずしているし、詰まっているし、くしゃみは止まらない。喉がかゆいし、目もかゆい。この数え役満みたいな状態はなんだ。薬飲もう。

 

 祖父の遺灰を混ぜたクッキーを友人に食べさせた、というニュースを見た。そういう風習があるのかな。そこがよくわからないから何とも言えないけどクッキーに遺灰。なかなかいいアイデアだと思うな。ポップだし、たぶんきっとおいしい。どうなんですかね。ただよく知らない赤の他人の遺灰が混ざったものは食べたくはないよな。それを体内に入れてどうしたらいいんだ、全然知らないのに。気持ちのやり方がわからない。

 

 骨噛みという風習がある。私のところは多分その風習はないとおもうからきっと体験しない。おもう、というのは今まで誰かの死に対面したことがないからだ。葬式も通夜も未体験。きっと体験するのにそう時間はかからないだろうと思っているけど。

 骨噛みというものについても聞きかじった程度で詳しいことは不勉強だ。けれどこの風習はとてもいいと思う。というか、私はそれをしたい。実際目の前にしたらどう思うかはわからないけど、骨を食べることに対しての嫌悪感はないだろうとおもう。それも大切な人のものだったら多分食べたい。摂取することで残しておける、みたいな。わからないけど、相手の一部が自分の中で残り続けてほしいのかな。

 

 食欲と性欲は似ているみたいな話があったな。食べることはセックスの比喩で、相手を取り込むことは食べることだというのを聞いたことがある。「食べごろ」とか「おいしそうだ」というのを相手に使うのもあるな。ていうかそもそも、三大欲求はそれぞれが割と関連している。食べるをセックスの意味として使うのと同様に寝る、もセックスの意味を持つ。惰眠を貪るって言葉もあるから、睡眠と食もまあまあ関わりあってるよな。人間のいちばん深い欲求を満たすものだから当たり前なのかもしれない。

 ひとつになりたい、という心理も突き詰めれば「食べたい」になるんじゃないかな。プラトンの「饗 宴」の中でアンドロギュノスという種族の話が出ていた。アンドロギュノスというのは 男と女にならぶ第三の種類であり、人間の原初的な姿で人間ふたりが一体となっているものである、というやつで、それをゼウスが二つに断ち切ったため、二つを一つにしたいとお互いを求め合う恋心を持ったとかなんとか。相手を食べ、自分の中に取り込み、ひとつ になりたいという欲は生まれながらにしてあるものかもしれない。「食べちゃいたいくらい可愛い」っていうのも、ひとつになりたい欲の一種だよなあと思う。そういや実際に相手を食べる行為、カニヴァリズム。あれは一つになりたい欲の最終形態なのかもしれないなー、なんてふと考えたりする。その欲望に忠実になりすぎたからこその行為ともいえるし、それが出来ないから疑似的にセックスをするのかもしれない。ただの食欲で性癖だって言われればそれまでだけど。

  一つになる、が愛の最終形態だとすると、食べるという行為は至極まっとうなことなだとおもう。それで、結局のところ私たちは無意識化で人間のことを「食べ物」として認識しているんじゃないかな。つまりどんだけ文明化がどーとか先進性がどーとかいっても人間はただの動物でしかない。そんな気がする。